名古屋地方裁判所 平成2年(ワ)2144号 判決 1992年2月07日
原告
山田陽子
ほか五名
被告
大名古屋交通株式会社
主文
一 被告は、
1 原告山田陽子に対し金三五二八万七〇九五円、
2 原告山田涼及び原告山田裕希に対し各金一七八四万三五四七円宛、
3 原告山田鷹夫に対し金三〇〇万円、
4 原告山田百合子に対し金一六五万円、
5 原告有限会社中京製綱に対し金三二万四七二五円、
並びにこれらに対するいずれも平成二年二月一八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告山田百合子以外の原告らのその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は被告の負担とする。
四 この判決第一項は、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一 原告山田百合子につき
主文同旨
二 原告山田百合子以外の原告らにつき
被告は、
1 原告陽子に対し三六四三万七〇九五円、
2 原告涼及び原告裕希に対し各一八一四万三五四七円宛、
3 原告鷹夫に対し四六八万九一一五円、
4 原告会社に対し三九万〇七九〇円、
並びにこれらに対するいずれも平成二年二月一八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の内容
本件は、原告らが左記一1の交通事故の発生を理由に、被告に対し自賠法三条、民法七一五条に基づき損害賠償を請求する事案である。
一 争いのない事実
1 本件事故の発生
(一) 日時 平成二年二月一八日午後一〇時ころ
(二) 場所 名古屋市中区畑江通五丁目一番地
(三) 加害車両 松原清長運転、被告所有の普通乗用自動車(名古屋55か241)
(四) 被害車両 山田裕一運転、原告会社所有の普通貨物自動車(名古屋47て3455)
(五) 態様 裕一が被害車両を運転し信号機により交通整理の行われている本件交差点を青矢印信号に従つて右折する際、対向直進してきた加害車両と出会頭に衝突し、裕一が死亡。
2 責任原因(弁論の全趣旨)
被告は、加害車両を自己のために運行の用に供する者である。
松原は、被告の従業員であり、本件事故当時被告の業務執行中であつた。
3 裕一の相続関係(甲三、甲四)
原告陽子は裕一の妻、原告涼及び原告裕希は裕一と原告陽子との子で、裕一の相続人は、これらの原告のみである。
4 損害の填補
原告陽子、原告涼、原告裕希は、自賠責保険から保険金二五〇〇万円の支払を受け、そのうち一二五〇万円を原告陽子の損害に、各六二五万円宛を原告涼及び原告裕希の各損害に充当した。
二 争点
被告は、松原が本件事故の際赤信号を無視し加速しながら本件交差点に進入したことを否認し、損害額を争うほか、次のとおり過失相殺の抗弁を主張している。
1 被告の主張
本件事故の際裕一は、シートベルトを着用していなかつたが、これを着用していれば、肋骨々折ないし頚椎捻挫が発生した可能性はあるものの、到底死亡には至らなかつたし、その治療費・慰謝料もそれぞれ一〇〇万円を上回らなかつた。したがつてこれを上回る損害についての原告らの請求は失当であり、そうでなくとも七割の過失相殺がなされるべきである。
本件は、登山者が「立入り禁止」の表示を無視して危険区域に入り、自ら崖崩れで死亡したと同様の事案である。交通事故とも呼ばれる社会の中で生活するドライバーは、自らその周辺に生ずる危険を管理する責任があり、シートベルトの着用を怠り、右管理責任を負担しない者は、その結果生じた損害を自ら填補すべきである。
2 原告らの反論
本件事故当時裕一がシートベルトを着用していなかつたことは否認する。
仮に裕一にシートベルト不着用の事実が認められるとしても、本件事故の大きさ・態様を勘案すれば、シートベルトの着用により裕一の死亡が回避できたとは到底言い得ないから、これを理由とする過失相殺は失当である。
更に、本件事故は、松原が対面信号が赤色表示に変わつたのに加速を続けて本件交差点に進入したために発生したもので、同人の未必の故意すら窺われる一方、裕一には事故発生につきなんらの過失もない事案であるから、信義則上もシートベルト不着用を理由とする過失相殺は許されない。
第三争点に対する判断
一 被告の責任
1 人身損害について
裕一が本件事故により死亡したこと及び被告が加害車両の運行供用者であることは争いがなく、右事実によれば、被告は、本件事故によつて裕一に生じた人身損害を賠償する責任がある。
2 物的損害について
本件事故当時松原が被告の業務を執行中であつたことは争いがないが、被告が松原の過失を争つているのでこの点について検討する。
(一) 甲二、甲一二、甲一三、甲一八、甲二二、乙二、証人長野哲也によれば、以下の事実が認められる。
(1) 本件交差点は、別紙図面記載のとおり、東西道路(うち東行部分は四車線)と幅三車線の南北道路とが交差し、信号機により交通整理の行われている交差点である。右東西道路は、最高速度が時速五〇キロメートルに規制されている。
(2) 本件事故当時松原は、タクシーである加害車両を運転し右東西道路を東進して本件交差点に接近し、時速約六〇キロメートルで同方向に進行していた芳村幸司運転の普通乗用自動車を追い抜きながら、別紙図面記載<1>の地点まで来たが、同地点付近で対面信号が黄色表示に変わつたころから加速を開始し、更に同記載<2>の地点で同信号が赤色表示に変わつたにもかかわらず加速を続けて本件交差点に進入しようとしたところ、同記載<3>の地点付近でおりから対向右折してきた被害車両を発見し、急ブレーキをかけ若干減速したものの間に合わず、同記載<×>の地点で自車前部を被害車両左前角部付近に衝突させた。
加害車両は、その後同記載<4>の地点まで移動して停止した。
(3) 一方裕一は、被害車両に装備されていた三点式シートベルトを着用しないまま、ワンボックス型の同車両を運転し右東西道路を西進して本件交差点に進入し、右折のためにその中央付近で待機していたが、対面信号が青矢印信号による右折可能の表示になつたのに従つて発進したところ、右のとおり加害車両に衝突された。
被害車両は、その後右側に回転しながら別紙図面記載<ロ>の地点まで飛ばされ、車体左側を下にして停止したが、裕一は、その下半身を車内に残し上半身を窓ガラスから車外に出す姿勢で、停止した被害車両の下敷きになり、全身打撲によつて死亡した。
(二) 右認定の事実によれば、松原には赤信号無視の過失があるから、被告は、本件事故により生じた物的損害を賠償する責任がある。
二 損害額
1 裕一の死亡による逸失利益(請求も同額) 六八一七万四一九〇円
甲三、甲四、原告鷹夫本人によれば、裕一は、昭和三七年八月一九日生まれ本件事故当時二七歳の男子で、原告会社に勤務し、本件事故の前年である平成元年に同社から年間四五〇万円の給与の支払を受けていた事実が認められるから、その死亡による逸失利益は、右給与額を基礎とし、生活費控除割合を三割、就労可能期間を二七歳から六七歳までの四〇年間として計算するのが相当であり、これを新ホフマン係数を使用して本件事故当時の現価に引き直すと、次のとおり六八一七万四一九〇円となる。
4,500,000×(1-0.3)×21.6426=68,174,190
2 慰謝料(請求も同額) 合計二六〇〇万円
本件事故の態様(松原の赤信号無視等による一方的過失)、結果、裕一の年齢、家族構成(妻、一歳及び本件事故後に誕生の子供二名並びに両親)等を勘案すると、本件事故の慰謝料は、裕一自身につき一五〇〇万円、原告陽子につき四〇〇万円、原告涼及び原告裕希につき各二〇〇万円、裕一の両親である原告鷹夫及び原告百合子につき各一五〇万円の合計二六〇〇万円が相当である。
3 葬儀費用及び墓碑建立費(請求二八八万九一一五円) 一二〇万円
甲五、甲六、甲一六の一、二、原告鷹夫本人によれば、同原告が裕一の葬儀費用及び墓碑建立費等として合計三三八万九一一五円を支払つた事実が認められるが、そのうち本件事故と相当因果関係のある分としては一二〇万円が妥当である。
4 レツカー・牽引費用(請求も同額) 四万二七二五円
甲七ないし甲九、原告鷹夫本人によれば、原告会社が本件事故による被害車両のレツカー・牽引費用として右金額を支払つた事実を認めることができる。
5 車両損害(請求三〇万八〇六五円) 二五万二〇〇〇円
甲一七、原告鷹夫本人によれば、本件事故当時の被害車両の価額は、二五万二〇〇〇円であり、所有者である原告会社が右同額の損害を被つたことが認められる。
6 相続及び損害の填補
以上の損害のうち、裕一自身の分の合計は八三一七万四一九〇円であるところ、前示争いのない相続関係によれば、同人の損害賠償請求権は、原告陽子が二分の一、原告涼及び原告裕希が各四分の一ずつ相続したものであるから、これを右各原告固有の損害に加算し、更に前示争いのない損害の填補の結果にしたがつて、右各原告が支払を受けた自賠責保険金をこれらから控除すると、残額は、原告陽子が三三〇八万七〇九五円、原告涼及び原告裕希が各一六五四万三五四七円となる。
また、その余の原告らの損害額は、原告鷹夫が二七〇万円、原告百合子が一五〇万円、原告会社が二九万四七二五円である。
7 弁護士費用(請求合計七〇四万円) 合計五二八万円
本件訴訟の審理経過、認容額その他を考慮すれば、原告陽子につき二二〇万円、原告涼及び原告裕希につき各一三〇万円、原告鷹夫につき三〇万円、原告百合子が一五万円、原告会社が三万円が相当である。
三 過失相殺の主張に対する判断
1 本件事故当時裕一がシートベルト不着用だつたことは、前示認定のとおりである。
2 そこで、シートベルトの着用により、裕一の死亡という結果が避けられたか否かについて検討する。
(一)(1) この点につき医師鈴木庸夫作成の乙三には、<1>本件事故の態様は、時速約三八キロメートルで走行していた被害車両の左前方約五〇度の方向から、約時速六六キロメートルの速度で走行してきた加害車両が衝突したもので、衝突の瞬間に、被害車両の正面方向に作用した双方車両の衝突速度は合計時速約八〇キロメートルで、被害車両の左側面方向に作用した加害車両の衝突速度は時速約五一キロメートルだつた、との事故態様の解析を前提に、<2>裕一がシートベルトを着用していたら、同人が本件事故で被つた全身打撲の殆どは生じ得ず、死亡することもあり得なかつた、との鑑定意見の記載があり、<3>その根拠として、シートベルトを着用していれば衝突速度が時速九〇キロメートルを超えた場合でないと死亡事故は報告されていないとの法医学書(ミューラー・法医学〔第二版〕・一九七五年)の記載その他若干の新聞記事等が引用されている。
(2) しかしながら、右法医学書の記載は、その対象となつた事故の態様や衝突速度、車両の種類等その前提や具体的内容が明らかにされていないから、反対趣旨の甲二〇(特に1―25図5―1)、甲二一記載も考慮するとこれを本件事故に適用することには疑問があるといわざるを得ない。また、事故態様等の異同を考慮しないそのほかの新聞記事の引用には格別の意味を見出すことができない。
(3) そして、本件事故の態様・状況のもとに、シートベルトの着用で裕一の死亡が回避されたか否かの結論を得るためには、<1>衝突の瞬間及びその後被害車両が回転しながらはね飛ばされる過程で裕一に作用する衝撃力及び遠心力等の大きさ・方向と作用時間の長さ、<2>これにより裕一の頭部等がハンドル・窓枠その他の車内の突起物等に衝突する可能性がないか否か、<3>その場合に頭部・頚部等裕一の枢要部に加わる衝撃力の大きさやこれにより被る傷害の大きさ等を、物理学的医学的見地から逐次具体的に検討するか、あるいは本件事故と同一条件のもとで実施された実験結果に基づいて考察するのでなければ、有意な結論が得られないことは明らかであるところ、乙三には、このような考察が欠落しており、この点からもその結論の妥当性には大きな疑問があるといわなければならない(たとえば乙三・八頁には、「当該受傷者が、仮に三点式シートベルトを着用していたとすれば、シートベルトで胸部から腰にかけて運転席に固定されていることになり、当該事故の衝突で体が前方に投げ出されることもなく、……当該事故では、フロントガラスやハンドルを頭部や胸部などを打撲することはあり得」ないとする記載があるが、本件のような高速度での衝突事故において、当然にそのような言明が可能か問題である)。
(二)(1) そのほか乙二には、乙三の鑑定意見が前提とした衝突速度及び衝突形態の鑑定結果が記載されており、これによれば、その衝突速度の推定には、本件事故による加害車両の変形状態を、固定されたコンクリートバリア面への正面衝突実験における他の車両の変形状態と比較して、その有効衝突速度を推測し、更にこれを基礎として本件における加害車両の衝突速度を推算する手法が採用されているところ、同鑑定では、右比較の前提となる加害車両の各部の変形(たとえば加害車両の前タイヤの後退)の有無やその変形量を、現実の加害車両に当たつて調査・計測しておらず、またこれを右正面衝突実験における車体の変形の有無・変形量と精密に突き合わせる作業もしていないなど、比較の手法が極めて大雑把であると評価せざるを得ない。
(2) そして、本件は、前示認定のとおり車両同士がかなりの角度をもつて衝突した事例であつて、右のようなコンクリートバリア面への正面衝突実験における実験結果との比較が、衝突速度の推定に有意な手法であるかにも疑問があるから、前示認定のとおり、加害車両が、時速約六〇キロメートルで進行していた芳村幸司運転の乗用車を追い抜きながら、更に加速して本件交差点に進入した事実なども考慮すると、現実の衝突速度は乙二に記載の数値を上回る可能性が充分あり、同記載の衝突速度は一つの参考値に過ぎないと考えるのが妥当である。
したがつて、この点からも、右乙二記載の衝突速度を前提とする乙三の結論の妥当性には問題があるといわなければならない。
(三) 以上検討の結果によれば、前示乙三の鑑定意見は採用に値せず、他に本件のような高速度の衝突事故においてシートベルトの着用で裕一の死亡が回避できたことを明確に認めるに足りる証拠はない。
3 そのほか、本件事故は、松原の故意の信号無視すら窺い得る一方、裕一には事故発生につきなんらの過失も認められない事案であつて、このように一方的な被害者の、しかも結果に差異を及ぼすとはいいきれない落ち度をとらえて過失相殺を行うことは信義則上も問題があることも考慮すると、本件に過失相殺の法理を適用するのは相当でないと結論せざるを得ない。
なおこれに関し、被告は、本件事故が登山者が立入り禁止の表示を無視して危険区域に入り崖崩れで死亡した事案と同視できると主張するが、前示認定の事故態様等に照らせば、このような見解は明らかに不適切であつて到底採用することができない。
四 結論
以上の次第で、原告らの請求は、被告に対し、原告陽子が三五二八万七〇九五円、原告涼及び原告裕希が各一七八四万三五四七円、原告鷹夫が三〇〇万円、原告会社が三二万四七二五円、並びにこれらに対するいずれも本件事故発生の日である平成二年二月一八日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合により遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、原告百合子の請求はすべて理由がある。
(裁判官 夏目明德)
別紙 <省略>